再生。
なんだかすごい言葉ですね。
前のブログの続きです。
夏休みに入りすぐに母のところへ遊びに行くということで
能登の母のもとに向かいました。
私の心の中では絶対母のところへ行ったら帰らない!!
固い決意でした。
どれだけ離れていたのか覚えてませんが
母に会える嬉しい気持ちと
置いて出ていった母への怒りというより悲しさが入り混じった思いでした。
久しぶりに会った母は温泉旅館の寮にいました。
出ていく前はコロコロと太っていたはずでしたが
スッキリと痩せていました。
祖母も一緒な寮に入っていたようでした。
叔父の家族も一緒でした。
とにかく会えたことで安堵した私は
早々に母に帰りたくないと話をしたと思います。
何日か大人同士で話し合ったのだと思います。
母は荷物をこちらに運ぶ段取りと
転校の手続きをしに父と二人で元の場所に戻りました。
数日後トラックで荷物が届きました。
荷物と言っても もともとそんなに裕福でなかったので
衣類や学用品その他母と兄弟の荷物だろうと思います。
数日して父は帰っていきました。
暴れる怖い父でしたがこの時とても悲しいような寂しいような
特に何も話はしなかったと思います。
ただ「運転気をつけてね。」みたいなことは言ったような気がします。
父と別れて暮らすこととなったのですが
それまでに色々ありました。
父と母の大喧嘩が頻繁にあったのですが
ある時から父が小さな声で私にこんなことを言うようになりました。
「もしもどっちかと一緒に暮らすなら
お父さん お母さん お前はどっちに行く?」
なんて事を聞くんだろう!
答えれるわけないよー!
そんなこと聞かないで!
とても悲しくなりました。
そして何も答えられませんでした。
お父さんは暴れなければいい人です。
私がまだ幼い頃は一緒にオセロやトランプで遊んでくれたり
勉強も教えてくれたりもありました。
たまに釣りなどに家族揃って連れて行ってもらえました。
でも今は怖い父です。
お酒を飲むと人が変わってしまい
お母さんを叩いたり蹴ったり
小鳥をいじめたりしました。
そんな危ない父だったので
今に自分たちも暴力に合うかもと思うと
お母さんと!なんて可愛そうで言えません。
考えただけで切なくて苦しくなりました。
子どもにとって
両親が仲良く家族みんなで楽しく暮らせるのが一番です。
帰っていく父の姿がまともに見れませんでした。
そして母を選んだ自分を責める気持ちにもなりました。
お父さん ごめんね。
夏休みも終わり
いよいよ新しい中学校に転校生として入学しました。
この時私はある決意をしていました。
それは 今度はもっと明るく活発で
自分の意見が言える性格の女の子になりたい。
以前の私のことは誰も知らない。
そうだ!生まれ変わろう!!
お別れした仲良しだった彼女にように
人の目を気にせず堂々と自分らしく生きよう。
もう以前のように何も言えない消極的な私とはおさらばだ!!
辛く寂しく苦しかったいじめ
仲良くしてくれた彼女のおかげで
私は引っ越しを機会に再生を決意したのです。
続く